連載② ネオテニーで生まれる人間と靴の必然の関係
私は以前、「シューフィル」という雑誌をメインに活動していた。
「シューフィル」とは「靴がとっても好き」といった意味の造語だが、「靴のカルチャーマガジン」を謳っており、普通の雑誌ではやらないような企画を売りにしていた。
その中に、靴とは全く関係ない各界の著名人に靴についてインタビューするという企画があり、河合雅雄さんにインタビューしたことがある。
京都大学名誉教授、兵庫県立人と自然の博物館(三田市)名誉館長などを務める霊長類学者であり、「サル学の大家」と言われる方。また絵本も著し、児童文学者という顔も持っていらっしゃる。
著書は、毎日出版文化賞受賞の「人間の由来〈上・下〉」(小学館1992年刊)など多数あるが、「子どもと自然」(岩波新書1990年刊)を読んでみた。
「ネオテニー」という初めて聞く言葉が出て来た。未成熟な部分を残し生まれて来てしまうといった意味に読めた。
足は、前回の連載で書いた通り、生まれてから成長、つまり成熟を始める。
えっ!ならば、足はネオテニーであり、人間はネオテニーだ!?もっと詳しく知りたい!
これが、河合雅雄先生をインタビューした理由だ。かつてのインタビューに基づきつつ、詳しく書こう。
ネオテニーは「幼形成熟」と訳され、一般的には「動物において性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な幼生や幼体の性質が残ること」と解説されている。
河合先生は、もっと具体的に、次のように話してくれた。
「例えばウマの子供は生まれ落ちた時、親と同じ形をしており、30分もすれば立ち上がり、自分で乳を飲み、一人前に生活できる。ところがサル類は、生まれた時はグチャーっと寝たまま。目は開いているけれど、見えない。本来ならお腹の中にいなければいけないのに、成長しきらないで、無能力のまま、早く生まれて来てしまう。これは生理早産と言われる現象ですが、広い意味のネオテニーに含めます。そして、もっともネオテニーで生まれてしまうのが、人間です」
では、人間がもっともネオテニーであることの意味は、何なのだろうか。
最も印象的だったのは、「ネオテニーは母親の存在をクローズさせる」という言葉だった。ネオテニーで生まれる人間は、育てないと成熟しないということだ。
さらに河合先生は、「『育てる』は他動詞だが、『育つ』という自動詞もある」と言われた。
つまり人間は、自ら育つ能力も持っている。そしてその能力を引き出すためには、サルのように群れて遊ぶ環境の中で育てることが必要である。
「靴は?」と問うと、「靴は文化的環境だ」と答えられた。
ネオテニーで生まれる人間を、人間たらしめているのは直立二足歩行だ。
そしてその歩行を司る器官が足であり、その足はネオテニーを象徴するように生まれた時は未成熟。その足は、育てなければ育たず、育てるには、自ら育つ環境を用意する必要がある。その環境の一つが靴である。
どうです、子供にとっての靴の大切さは、こんなにも学術的に意味づけられるのです!