大谷知子

子供の足と靴のこと

連載⑳ サルヴァトーレが教えてくれたこと

サルヴァトーレ・フェラガモ、多くの方がご存じでしょう。イタリアを代表するラグジュアリーブランド。日本はもちろんのこと世界中にブティックがあり、服、靴、バッグ、またスカーフなどとトータルで揃えていますが、そのオリジンは靴。これも、よく知られていることだと思います。
なぜ、靴から始まったのか。創業者サルヴァトーレ・フェラガモは、靴職人だったからです。しかも、ただの靴職人ではありません。優れたデザイナーであり、発明家でもあり、いくつもの革新的なスタイルを生み出しましたが、さらには治療具としての靴にも通じていました。
サルヴァトーレ・フェラガモの自伝「夢の靴職人(英題Shoemaker of Dreams)」に、こんな話が書かれています。
サルヴァトーレの妻には7歳になる甥がいたが、小児麻痺で片足が曲がってしまい、杖をつき、悪い方の足を引きずって歩いていた。相談を受けたサルヴァトーレは、悪い方の足にはぴったりの靴を、良い方の足には地面に着けた瞬間に足を締めつける靴を作った。甥は、痛いと文句を言ったが、良い方の足が痛くて、悪い方の足は痛くないとなれば、自然と痛くない方の足、つまり悪い方の足を使うようになり、使うことによって機能回復が図られる。甥は、8〜10週間で杖がいらなくなり、普通に歩けるようになった。

●マユツバ?! いや、そうじゃなかった!!
「夢の靴職人」日本語訳(堀江瑠璃子訳、文藝春秋刊)は1996年に出版されましたが、私が、この話を読んだのは、1984年のことでした。なぜ出版前に読めたのでしょう。当時、靴業界誌を発行する会社に勤めていましたが、その業界誌が「夢の靴職人」のイタリア語版を手に入れ、フェラガモ社の許可を得て日本語訳を連載することになり、ちょうど長女の出産を控えていた私が、産休中にその翻訳原稿をリライトすることになったからでした。だから読んだ年を正確に記すことができるのです。
そしてこの箇所のリライトを終えた時、“靴を変えただけで、普通に歩けるようになるなんて本当? マユツバかも。少なくとも誇大表現じゃないだろうか”と思ったのでした。
当時の私は、靴が健康に大きな影響を及ぼすという認識が十分ではありませんでしたし、靴に医療に関わる分野があることは全く知りませんでした。靴業界、また日本の社会全体も、そういう認識&知識レベルではありませんでした。
しかしその数年後、外反母趾の女性が増えているという報道をきっかけに、靴選びやフィッティングが足、延いては全身の健康に関係するという認識が広まり、業界では、その分野に注目が高まることになります。業界誌の記者として、靴と健康との関連性を取材することになり、その中で欧米には「整形靴」という整形外科の治療手段として使われる靴があることを知りました。
“マユツバなんかじゃない!サルヴァトーレが書いていたことは、本当だ!”
自分の無知を悔い、サルヴァトーレ・フェラガモに心の中で詫び、靴の力はすごいと思ったのでした。

●正しい歩き方が、損なわれた足を癒す
サルヴァトーレは、小児麻痺の甥を普通に歩けるようにしたことで、「正しい歩き方をすることによって損なわれた足を強制的に治す」、つまり靴で正しい歩き方に導くと損なわれた足を治せることを証明したという意味のことを書いています。
これを裏返すと、悪い歩き方をしていると自ずと足は損なわれるとなり、悪い歩き方になってしまう原因は、悪い靴であり、悪いフィッティングということになります。
そして悪い靴の影響をもっとも受けやすいのは、成長過程にあり、未熟な子どもたちの足です。逆に正しい歩き方ができる正しい靴を履けば、足は損なわれることなく、健康に育つのです。
数々の美しい靴を生み出したサルヴァトーレ・フェラガモが書き残した逸話が、そのことを教えてくれます。

1996年に出版された日本語版「夢の靴職人」
(堀江瑠璃子訳・文藝春秋刊)

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。