大谷知子

子供の足と靴のこと

連載71 上履きについて調べてみました。

最近、近くの保育園で足の成長と靴について話したのですが、その時、「上履きについてどうお考えですか」という質問がありました。上履きにも外で履く靴と同じような機能が求められること、その理由などをお答えしましたが、上履きについてきちんとまとめたことがなかったことに気づきました。
いつから履かれ始めたかについても、戦後だろうと思っていたものの実際にはどうなのか。早速、インターネットで検索してみると、上履きについてまとめた幾つものブログや研究発表が出てきました。
それらによると、上履き着用の契機となったのは、1872(明治5)年の学制公布のようです。学制とは、近代的教育制度を定めた日本初の教育に関する法令です。これによって今に繋がる小中高大学から成る学校制度が始まりました。そして翌1873(明治6)年には「文部省制定小学校建設図」というものが示されています。
建設図は、校舎のあるべき形を示したものですが、そもそも学制のお手本は、欧米、特にフランスだったようです。従って校舎も西洋風が良しとされ、学制公布直後は、寺子屋がそのまま学校に横滑りしたものが多かったとのことですが、徐々に西洋風の外観のものが増えていったとのことです。
その外観や見取り図などが、教育史などの研究論文や書籍に掲載されていますが、それを見ると、校舎の入口に「昇降口」と記されています。
昇降口、懐かしい言葉ですよね。毎朝、ここで靴を脱いで教室に向かい、授業が終わると、ここで靴を履いて帰りました。
昇降口とは、「建物の出入口、特に校舎の出入口で靴と上履きとを履き替える場所」(広辞苑)。校舎の外観や造りは西洋風になっても、屋内では履物を脱いで過ごすという日本の伝統は引き継がれたのです。

画像 昇降口には下駄箱。ズラリと上履きが並んでいる

●上履きは、生活指導の重要なツール…
では、何を履いて過ごしたのか。つまり、どんな上履きを履いていたのでしょうか。 明治・大正期は、草履や足袋。このような状態は、昭和に入り、第二次世界大戦後もある程度、続いたようです。 ネットに公開されていた、国立埼玉大学教育学部の紀要(論文集)に掲載の「学校生活における上履きの変遷とその役割」(2009年)という論文に、次のようなアンケート調査結果がありました。 50歳以上の46名に小学校の時、どんな上履きを履いていたかを聞いたところ、次のような結果になったというのです。

画像 前ゴム(左)とバレー(右)
論文の表中では「バレエ」となっているが、「バレエ(ballet)」は
「舞踏」を意味し、上履きは「バレー」と表記するのが一般的。

「前ゴムシューズ」とは、現在は「前ゴムバレー」とも(画像参照)言われ、また「バレエシューズ」とは「バレーシューズ」(同)と表記されるスタイル。これらが上履きとして一般化したのは、1950年代半ばから60年代であり、今もなお上履きの典型。70年もの長きにわたり変わらず上履きとして履かれ続けているのです。
さらにこの論文では、学校教育における上履きの役割を明らかにしようとしています。それを、平成18年度に埼玉県及びさいたま市が全県的に掲げた「教育に関する3つの達成目標」に関する調査結果から導き出していますが、3つの目標のうち「規律ある態度」を達成するために効果のあった取り組みを聞いたところ、「あいさつ」「早寝早起き朝ごはん」などと並んで「はきものを揃える」という回答が目立ち、集計したところ下表のようになったというのです。

「はきもの」は、校舎内では上履きであり、それに求められるのは、校舎内での過ごしやすさ、安全性といったことになると思いますが、学校が考えている役割は、全く違うベクトルのところにあるようです。「上履きは生活指導上重要なものであり、生活指導の重要なツールとして活用されている」(論文より)のです。そしてさらに論文は「(生活指導の重要なツール)だからこそ、機能性はほとんど重視されないために材質や形状は変化する必要がなく、1960年代以降ほぼ同様の形と素材のものが使用されてきていると考えられる」と結論づけています。
上履きは、履物=靴。屋内であれ、日中のほとんどの時間を過ごす学校では、靴としての機能、例えば足に合わせられる、動きを妨げないといった機能が必要です。しかし、学校にとっては生活指導のツール。近年、上履きの問題点に気づいた親が、学校に改善を求めるケースも出ていますが、学校側が求めに応じて上履きを変えたという話は聞きません。その根っ子には、上履きに求める役割についての認識の違いがある。上履きがより良い方向に進まない原因に触れたように思ったのでした。

 

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。