大谷知子

子供の足と靴のこと

連載70 映画「西部戦線異状なし」(1930年)で語られた靴

アカデミー賞の季節です。マニアやオタクとかいうほどではありませんが、映画、好きです。
で、今年のノミネート作品はというと、「トップガン・マーヴェリック」「アバター・ベイ・オブ・ウォーター」「エルヴィス」…、えっ、「西部戦線異状なし」⁈
なぜ、“えっ”なのか。
「西部戦線異状なし」は、1930年に製作された映画だからです。それが2023年のアカデミー賞にノミネートされるはずはなく、リメイクされたのです。
そして“えっ”のもう一つの理由は、1930年版では、靴が印象的に登場するからです。

●切断された足にブーツは履けない
ここで言う西部戦線とは、第一次大戦のもの。ベルギー南部からフランス北東部に形づくられた戦線です。ここを境にドイツとフランス、イギリスを筆頭とする連合国が対峙し熾烈、かつ苛酷な戦いを繰り広げました。
映画の主人公は、この戦線に志願して趣くドイツの学生たち。愛国心を鼓舞され意気揚々、かつ遠足にでも行くかのように戦線に向けて行軍します。しかし着いたところは、“異状なし”どころか、彼らが過ごしていた日常からは想像を絶する“異常”な世界でした。
ほどなく仲間の一人が負傷。戦闘の合間に連れ立って見舞いに行くと、その仲間は足を切断されていることを知ることになります。
映し出されるベッドの下の立派なブーツ。足をすぽっと入れるための、いかにも軍人の長靴です。
それを見つけた仲間の一人が言います。 
「おれの足は、いつも水ぶくれだらけ。このブーツなら、そんなことがなくなりそうだ。おれにくれよ。お前は、もう必要ないだろ」。
仲間の一人が、慌てて制し、「頑張れよ、必ず良くなる」と言葉を残し戦線へと戻って行きます。
しかし制した一人は、そのまま去ることができず友達の元に戻りますが、容体が急変。「あいつにブーツをやってくれ」という言葉を残し亡くなってしまいます。
肩を落としうなだれて病院を後にする彼の手には、ベッドの下のあのブーツ。30年代の映像で見ても、アニリンのカーフだろうなと思わせるほど上質です。
そのブーツを渡された仲間は、すぐに足を入れ、嬉しそうに足踏みをします。
そして足元を見るような仕草と共に同じ嬉しそうな表情で戦線に向かいます。しかし、次に映し出されるのは、ブーツを履いた倒れた足。続くシーンは、同じ顔で戦線に向かう違う兵士。そして再びブーツを履いた倒れた足。
完全にネタバレですが、こんなふうに靴が描かれているのです。

画像 「西部戦線異状なし」(1930年)のDVD(ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン)
1930年度アカデミー賞作品賞・監督賞受賞

●靴は、命に直結している
第一次世界大戦は、塹壕戦。塹壕とは、弾丸や砲弾から身を守るために陣地の周りに掘る穴や溝のことです。掘り進むうちに地下水がしみ出すこともあるでしょうし、雨が降れば水が溜まり、塹壕の中は泥沼状態。兵士の足は乾くことがなく、常に湿っており、水ぶくれが多発。これを塹壕足と言い、兵士の多くを悩ましました。ひどくなると、壊疽を起こし足の切断を余儀なくされることも、決して珍しくなかったと言います。
また、塹壕足を防ぐために、前記のような長靴ではなく、現在ではコンバットブーツとして知られる編み上げスタイルで防水性に改良を加えたものが、大戦が終わる頃に支給されるようになったと読んだことがあります。
第一次世界大戦終戦は、1918年。製作の1930年は、10数年後のことです。こうした状況を伝えるために、靴が、前記のように描かれたのかもしれません。
でも、亡くなった兵士の靴を脱がせ、自分が生き延びるために履く。他の戦争映画でも、見られるシーンです。
子ども靴とは、直接関係しませんが、靴は、足の健康、全身の健康を超えて、命に直結しているのです。幼い子に、この映画を通して靴のこうした意味を理解してというのは、とうてい無理でしょう。でも周りの大人が理解し接し続けると自ずと伝わるのではないでしょうか。靴が大事という意味が深まります。
皆さんが、このコラムを読んでくださる頃、アカデミー賞受賞作は決まっています。ノミネートされたアニメ映画には、ドリームワークスが生んだネコのキャラクター“プス”の新作「長ぐつをはいたネコと9つの命」もあります。そして。「西部戦線異状なし」は…。1930年版とリメイク版を見比べてみるのも一興と思います。

 

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴事典」(シューフィル刊)がある。