大谷知子

子供の足と靴のこと

連載㉙ 『ゾウの時間ネズミの時間』にこと寄せて

『ゾウの時間ネズミの時間——サイズの生物学」という本があります。1992年刊行の中公新書です。刊行間もない頃に読み、とても印象深く、今でも頭を去りません。 著者は、生物学者の本川達雄。東京工業大学理学部教授を長く務められ、刊行当時は、その職にあられました。この原稿を書くに当たり、ネットで経歴を調べましたが、ウィキペディアに「シンガーソングライター」とあり、ビックリ!自分の講義を歌にし学生たちに聴かせたり、『ゾウの時間ネズミの時間—歌う生物学』というCDも出していらっしゃいました。
こんな自由な方だから、人の発想を転換させる本が書けるということなのでしょう。
それで本書の内容です。
ゾウは100年近い寿命を持ち、ネズミは数年しか生きない。しかし寿命を呼吸数で割ると、哺乳類なら、サイズの違いによらずどの動物も約5億回となる。従って心臓の鼓動を時計と考えると、どんな哺乳類の一生も変わらない。言い換えると、ゾウの時計の秒針はカチーーーーーーーーンカチーーーーーーーーンとゆ〜〜くり動く。ネズミの時計の秒針はカチカチカチカチカチと忙しない。しかし、秒針が動く回数は同じ。だからゾウの一生も、ネズミの一生も、そして人の一生も、その価値は変わらない。
なるほど!!!と思いました。
そしていちばん印象に残ったのが、体のサイズによる行動圏の違いの話です。
定住性の動物がふつうに行動する範囲を、行動圏と言うが、大きな動物ほど広い行動圏を持ち、その広さは、体重にほぼ比例している。
そして本川先生は、次のような計算をしてくださっています。
立川から中央線を使い丸の内まで通うとすると、通勤距離は37.5キロメートル。これを行動圏の半径とし、このくらいの広い行動圏を持つ動物のサイズを計算してみると、2.9トンになる。
実際の体重60キログラムとすると2.9トンは50倍近い。通勤電車は、ただでも混み合っているのに、文明の利器によって体を50倍にも膨張させた人がひしめき合っているのです。膨張した体は押され、重なり合い、身動きは完全不可能。極度に疲労し、ストレスが溜まって当たり前。
文明社会は、便利この上ない。しかし生物としての人を、いかにスポイルしているか。それを具体的に数字で突きつけられた気がしたのでした。

●子どもの体も膨張させる文明社会を生き抜くために
なぜ、こんなことを書いているかというと、子どもの健康を守り増進させる活動をしようと一般社団法人を設立しようとしている方の設立趣意の中に「生物的な成長が必要な子ども」という言葉を発見し、『ゾウの時間ネズミの時間』が頭の中に浮かんで来たからです。
2、3歳の子どもでも、私などよりタブレットを上手に操り、知育アプリで遊びます。お母さんの胎内から産み落とされた瞬間に、病院のデジタル機器の音を聞いているかもしれない現代の子ども達は、環境としてデジタルを会得しているとも言えます。それは、通勤電車による移動とは違いますが、文明の利器による体の膨張を招くことに繋がっているのではないか。ならば、少なくとも文明社会を生き抜く基礎的力、すなわち生物としての成長を促す努力をしなければならないと思ったのです。
そして人は、直立二足歩行動物として成長する仕組みを持っています。
以前にも書きましたが、小さな子どもは、筋肉の発達が未熟で細いから筋肉ポンプを簡単に動かせる。すると代謝が良くなるので疲れない。疲れないからどんどん動ける。そして動くことによって筋肉が鍛えられ、太く丈夫になり、アーチの形成を促す。
未熟が成長を促す。この上なく素晴らしいシステムではないですか。
このシステムを使わせ、文明社会を生き抜く体をつくるために歩かせましょう。
でも、一つ条件があります。
道路、すなわち地面は、車で移動しやすい環境に改変されています。その環境は、生物としての人間に決して好ましいものではありません。着地するために衝撃が加わります。そんな環境から足を守るために編み出されたのが、靴という道具です。
生物的な成長を促すために、良い靴を履かせて、どんどん歩かせましょう。

『ゾウの時間ネズミの時間』の画像『ゾウの時間ネズミの時間』中公新書・1992年刊

大谷知子(おおや・ともこ)
靴ジャーナリスト。1953年、埼玉県生まれ。靴業界誌「靴業界(現フットウエア・プレス)」を皮切りに、靴のカルチャーマガジン「シューフィル」(1997年創刊)の主筆を務めるなど、靴の取材・執筆歴は約40年。ビジネス、ファッション、カルチャー、そして健康と靴をオールラウンドにカバーし、1996年に出版した「子供靴はこんなに怖い」(宙出版刊)では、靴が子どもの足の健全な成長に大きな役割を果たすことを、初めて体系立てた形で世に知らしめた。現在は、フリーランスで海外を含め取材活動を行い、靴やアパレルの専門紙誌に執筆。講演活動も行っている。著書は、他に「百靴辞典」(シューフィル刊)がある。