連載㉒ アンドレセン先生の「足と靴」授業
かなり前のことですが、NHKのドキュメンタリー番組に「世界の先生」というものがありました。その中に、足と靴をテーマにした授業を行う先生がいました。ミュンヘンの小学校で教鞭を執る、ウテ・アンドレセン先生です。
授業は、パブロ・ネルーダの詩の朗読から始まります。子どもの足をテーマにした詩なのですが、ネルーダは、ノーベル文学賞を受賞した世界的、かつチリの国民的詩人。また外交官、政治家でもあります。「イル・ポスティーノ」というイタリア映画がありますが、カプリで亡命生活を送るネルーダと彼の元に郵便物を届ける郵便配達員との交流を描いています。チリの上院議員でもあったネルーダは、彼とは主義を異にする勢力が政権を取ったことによって、実際にイタリアに亡命していた時期がありました。
授業を受けているのは、小学2年生。そんな高名な詩人の詩を理解するのか。子ども達は、しっかり反応します。一人の女の子は、靴と靴下を脱いで「これでしばらく自由よ!」と言います。それに呼応して、子ども達は次々と裸足になり、「なんて可愛いんでしょう!」と言う子も。
次の授業の日。一人の子が、赤ちゃんの時に取った足型を持って来ます。そして、足型を取ってみようということになり、助け合いながら、足の裏に絵の具を塗って足型を取ります。長い巻紙にクラス全員がペタペタと足型を押してみたりもします。ずらり並んだ足型プリントを見た子ども達は、それぞれが違うことに驚き、また自分のは誰々と似ているなどとワイワイガヤガヤ。
先生が足の図を黒板に貼り出します。これは趾、ここは母趾球、ここは踵……。次には歩いている時の足の動きの図解を貼り出します。これは、踵が床についている、これは踵が上がっています、これは趾だけが床に触れているわね……。そして「歩く時の足は、どんな順に動いているでしょうか。順番に並べてみて」と促します。
教室は、外にも飛び出します。靴の修理屋さんでは、剥がれたソールを張り直したり、縫い目がほつれてしまった甲を縫うところなどを見ます。靴店にも出掛け、子ども達は靴の種類がたくさんあることに驚きます。
●自分で靴を発明する
なかでもいちばん印象的だったのが、自分たちで靴をつくる授業でした。
アンドレセン先生の「靴を発明しましょう」という言葉に促され、子ども達は思い思いの材料を持って来ます。布、革、毛皮の切れ端、厚紙、紐、テープ等々。ほとんどの子どもが、布や革を足の下に敷き、甲を包もうとします。でも、上手く包めません。それでも強引にテープと紐を使って縛り付ける子もいれば、切って甲に合わせようとする子。また甲を包むことを諦め、底だけして、底に紐を取り付けられるようにしてサンダルにしている子等々。
そして出来上がった靴を履いて歩いてみます。でも、すぐに脱げてしまったり、紐が切れてしまったり。紐が切れることから、歩き時、足に多くの力が入っていることを知り、勉強した足の運動を反芻したかもしれません。
こうして子ども達は、足と靴との関わり、靴が足に対してどんな役割を果たしているかを、体験的に学ぶのです。
ドイツでは初等教育課程に「事実教授」という教科があり、足と靴は、その一つ。アンドレセン先生は、事実教授のエキスパートのようです。日本で言うと「総合的な学習の時間」に当たるのかもしれません。
最近、靴教育ということが言われるようになり、実際に授業が行われたりしていますが、アンドレセン先生のような授業が行われるようになったら、靴の大切さや履き方が情報としてではなく、知識として根付き、子ども達は自ら進んで、つまりは自発的に靴に気をつけるようになるのではないでしょうか。
ドイツで出版されているウテ・アンドレセン先生の授業をまとめた
「Das zweite Schuljahr(2年生)」より