連載㊲ サステイナビリティと革
前回、サステイナビリティについて書きましたが、今回も、その続きのようなお話を書かせていただきます。
今回は、靴の主要素材である革についてです。なぜなら、サステイナビリティに関連した革の捉えられ方は、誤解というか、短絡的な部分があるように思うからです。
皮、英語で言うと“skin”は、鞣すことによって革、つまり“leather”になります。
鞣しには、大きく分けて、鞣し剤に植物を使う方法と金属を使う方法があります。後者の金属の代表がクロム。靴やバッグに使われている革の多くは、クロム鞣しによるものです。
そしてサステイナビリティに絡む環境問題では、クロム鞣しが問題視されます。
クロムは、土壌汚染や発がん性など、強い毒性を持っていることが知られているからです。
でも毒性を持っているのは、六価クロム。鞣しに使用されるクロムは、三価クロムです。
三価クロムは、自然界に安定的に存在し、人間に必須のミネラルでもあるそうです。
その事実を飛ばして、クロム鞣しを問題視するのは、短絡的過ぎるのではないでしょうか。
●革にするために殺される牛は、一頭もいない
また、動物愛護の観点から革そのものを嫌う風潮もあります。
「革にするために殺される牛は一頭もいません」。植物タンニン鞣しを行うイタリアのタンナーから、しばしば聞くフレーズです。
牛は、飼育されています。目的は、肉として食するためです。そのためには、命を奪わなくてはならず、肉にするために皮が剥がれます。剥がれた皮は、肉を取るということからすると、不要物。その不要物を、鞣すことによって革に変え、私たちは活用しています。
革にするために殺される牛は一頭もいない——このことを意味しています。
『一万年の旅路』という本があります。ネイティブ・アメリカンのイロコイ族が、アフリカ大陸と接した地中海沿岸の地を旅立ち、北米・オンタリオ湖岸に定住の地を見つけるまで、どう歩き、何を行ったか。口づてに伝えられてきた、その歴史を文字に書き起こし、本にまとめたものです。
その中に、次のようなくだりがあります。
彼らが旅を始めたのは、2万年ほど前。それからあまたの冬を数えた時のこと、寒さは一冬ごとに厳しくなるばかり。それでも歩きつづけましたが、ある朝、リーダー格の女性の息子が、起き上がらなくなってしまった。寒さで凍え死んでしまったのです。
女性は深く悲しみましたが、女性の父親の悲しみはさらに深く、絶望の余り、仲間を離れ、北に向かって一人旅立ちます。
男は、悲しみを噛みしめひたすら歩きつづけるうちに、どうしたら寒さをしのげるのかと考え始めます。そして雨風よけに、肉を食べた後の獣の皮を使ったことがあることに思い至ります。
●『一万年の旅路』が教えてくれること
あの皮を、獣のようにまとうことができたら、暖かいに違いない。しかし、皮は堅くこわばっている。とても獣のようにぴったりとまとえない。
その時、お腹が空いてきて、草の実を噛み始めた。すると噛むうちに、実が柔らかい塊になることに気づきます。
皮も噛んでみてはどうか。試してみると、噛んでいるうちに味が悪くなった。たまらず、水で洗い、また噛んだ。それを繰り返すうちにこわばっていた皮が柔らかくなり、身にまとえるようになったのでした。
男は踵を返し、その皮をまとい、仲間のもとに帰ります。しかし獣のように見える男に誰も近づこうとせず、男は、仲間と距離を置いて毎日を過ごすしかありませんでした。
そんな日が続いたある夜、一人の女が男にところにやってきます。「子供が足を痛がっている。このままだと朝日を見ることができないかもしれない。あの柔らかい皮を貸してはもらえないか」というのです。
男は、喜んで貸します。
すると柔らかい皮をまとって一夜を過ごした子供は、他のどの子より気持ちよさそうに起き上がり、すぐに元気に歩き回り始めたのでした。
皮を柔らかくする、つまり鞣しという知恵は、動物愛護に反するどころか、人の命を繋ぐために編み出されたものなのです。そして、使えなかったものを使えるようしたのですから、世界最古のリサイクルと言えるのではないでしょうか。しかもその営みは、子供を失った悲しみから始まり、子供を元気にするという実を結んだのです。
話が子供に辿り着いたところで、お後がよろしいようで。
『一万年の旅路』
(ポーラ・アンダーウッド著・星川純訳 1998年 翔泳社刊)